秀吉からもらった遺産

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面白い本を紹介されました。歴史好きにはたまらない。ブラタモリにも出たそうです。地形の高低差から歴史を読み解き、それを証明して「歩く」人が著者です。

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秀吉時代の観月橋は、「豊後橋」と呼ばれていたとか。伏見側に「豊後藩主」が住んでいたからだそうです。当時から向島は向島だったのですね。

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巨椋池が干拓される前に地図です。向島城があって、伏見側には指月城があります。宅地開発でそれは跡形もないようですが、ちゃんと段差で残っているそうです。当時の貴族たちの間では、月の名所のこの界隈に別荘を構えるのが流行ったそうです。

秀吉は巨椋池を干拓し、わが一族の生活道路である「太閤堤」を造りました。大阪城より実質首相官邸のように使った伏見城に、奈良からもいち早く通ずる街道が必要だったのです。それまでは今の1号線よりもっと東にあって、遠回りだったようです。「槙島」もみえます。

今の宇治川堤防の南側にある、わが一族の「西堤町」は、太閤堤の西側という意味だったのですね。

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わが姉が住む現在の太閤堤。私が中学生のころから通っている街道です。いつのころからか逆一方通行になり、24号線から遠回りして、<細い坂道を上がって>、この道路にたどり着きます。この細い坂道がまさに、昔は池だったところを干拓して、街道を作ったという遺構の跡なのだそうです。

西堤町にはこの細い「遺構」を今度は右折して下るのですが、その直角の角に、この古民家の前にある大きな石があって、運転が苦手な私を悩ませています。悩まされている年月が、はや半世紀。

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今では1号線で宇治川を渡り、迂回するようにして観月橋を渡らずに済むルートを使います。それが「太閤堤のうねり道」という歴史的な遺構であることも知りました。

いやぁ~、わが一族は、歴史的な所に住んでいるのですねぇ。おかげで歴史的な街道を利用しながら半世紀を過ごせました。いやぁ~、歴史は面白い!

せわしなく過ごした日々も、一段落つきましたよ~。

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